ハローワークでの求職活動について~基本的なしくみ

はじめの会社を退職し,地元に戻り,ハローワーク(旧・公共職業安定所:職安)に出入りすることが多くなりました。窓口で職業相談をしたり,検索機で求人票を確認したり。

新卒で就職された方々の中には,ハローワークと無縁の方も多いと思います。
私自身,失業するまでは,自分がハローワークのお世話になるとは思いもしませんでした。

ハローワークは私の地元には一か所あり,周囲の複数の市町村を管轄していました。
○○市や△△町に住民票のある人は□□のハローワークに出入りするのが通例のようです。

失業して,最初の再就職先は,小規模の建設系コンサルタント会社でしたが,精神疾患を抱えながら勤務を続けるのはやはり難しく,一年ほど経過した頃に退職を申し出ました。その後,再びハローワークのお世話になる日々が続きます。

地域によって実情は異なると思いますが,私の通ったハローワークは中規模のもので,失業した方々で溢れかえるというほどではありませんでしたが,十数箇所ある窓口は満員,検索機は半分程度が職を求める人で埋まっているという状況でした。

現在では,ハローワークの求人票は原則,インターネットでも閲覧可能です。
基本的にはインターネット上の検索機の求人内容は,インターネット上の求人検索サービスの内容と同一です。
しかしながら,一部の事業所名が伏せられているものがあり,これを直接閲覧できること,近隣の市町村からまとめて求人票を検索できること,タッチペンでモニタを直観的に操作できること,求人票をその場で所定の枚数までプリントアウトできることなどが,直接にハローワークに赴くメリットかもしれません。

パソコン操作.jpg
(画像はイメージです。)

しかしながら,ハローワークを通して事業所に応募する際には,「紹介状」が必要で,こればかりは,直接窓口で発行してもらう必要があります。

インターネットで求人票の検索が可能となり,便利な時代になった反面,ハローワークにはあまり好意的なイメージを持っていない方も多いようです。
地元での就職活動にはハローワークが必要ですが,課題も多そうです。


幼い頃の思い出~野山で遊んだこと

「昔は良かった」とは「時代の変化についていけなくなった人の言葉である」と何かの本で読んだ気がします。「時代の変化についていけなくなった」点では,若くして,私も例に漏れないと思います。

私の出身地は九州の山間地です。ある半島の中央部に標高数百メートルの山があり,そこから海に向けて複数の川があり,谷があり,そのうちの集落のひとつが私の生まれたところです。

テレビゲームが普及するのは,私が小学校中学年になってからのことで,それまでの遊び相手は,もっぱら野山でした。
小学校の友達や祖母(当時,「ばあば」と呼んでいました)を連れ添って野山によく出かけました。

森林_見上げ.jpg
(画像はイメージです。)

野山に行く際には,必ず何かの道具を持って出かけました。鎌(カマ)や鉈(ナタ)や鋸(ノコ)などです。
鎌や鉈はもちろん刃物で,小学生の手には余る道具です。
当時,これらの道具をカバーも付けずに持ち歩いていました。
現在では,いくら片田舎といっても,子供がこのような道具を持って歩いていれば,通報されてしまうかもしれません。大人になった私ではなおさらです。

このような道具で何をするのかといえば,竹や木を切り倒し,持ち運べる程度の大きさにしてから自宅に持ち帰り,さらに加工するのでした。自宅の納屋(なや)の前で,それらの素材をさらに細かく切断し,加工します。竹トンボや剣といったものが出来上がることもありましたが,どちらかというと,素材を加工することに夢中になりました。ただ,素材を切る,削るといった作業が好きでした。
どこかで書こうとは思うのですが,このようなことに夢中になる私の傾向は「発達障害」という,脳の一種の機能障害に起因することが後にわかります。

さて,道具の刃先がまずい方向を向いていると,当然ですが,手指を切ります。
切り口からは血が滲みます。
思わず,手指の切り口を口に含み,なんとか塞ぎます。
口の中に広がる,鉄のような,血液の味。
絆創膏というものは当時もありましたが,田舎では「そのうち治る」みたいな感じで,しばらく待ってカサブタができるまで放置していました。

こうやって,何度も手指を傷つけて道具の使い方を覚えました。
しかしながら,大人になってからはそのようなスキルが役に立ったことはありません。
素人料理を拵えるときなどに,包丁の力加減を調整するのに貢献したぐらいでしょうか。

現代の親御さん方は,道具の扱いを覚えさせるために,いきなりカマやナタを持たせることはしないでしょう。
道具を持って野山をブラブラすることができた最後の世代が,私ぐらいだと思います。
そう思えば,「昔はいい時代」でした。

パラレルワールドと私の人生

「機会費用」と呼ばれるものがあることを知りました。
経済学で用いられる用語で,最善の行動を含む複数の選択肢があったとして,あるひとつの行動を選択したときに,最大利益を生む行動とその行動の差を貨幣換算したものだそうです。
とすれば,私の人生は,機械費用を常に失いながら送ってきたのだろうと思います。

日々生きていく中で私たちは様々な「選択」を強いられています。
日常の何気ない仕草から,進学・就職・結婚・出産などの大きなライフイベントまで。

分岐点.jpg
(画像はイメージです。)

10代の学生時代には思いもしませんでしたが,社会人になって初めて「挫折」というものを経験しました。いや,経験豊かな方々にしてみれば,それは挫折ではなく,ちょっとした「つまずき」程度のものだと言われるかもしれませんが。

「ああ,失敗した」と確かにそのとき思ったのです。
仕事で失敗した。人間関係の中でうまく立ち回れなかった。
その結果,精神疾患を発症し,はじめて勤めた会社を退職するか否かの判断を迫られました。

会社側の好意に甘え,何がなんでもすがりついて生きていくという選択肢もあったかもしれませんが,結局退職を選びました。
「新卒で入った会社で,なんてもったいない」とか「まだ若いのだから別の道がある」とか,いろいろ言われそうです。

その後は職場を転々とすることになりますが,やはりうまくいきません。
イイワケがましいことが頭に浮かびます。
「大学であの分野を専攻しなけレバ」「あの会社に応募しなけレバ」「あの人とうまくやれていタラ」「あのとき,もっと我慢していタラ」
「…タラ」「…レバ」。多分,キリがありません。

「あれもこれも」ではなく,「あれかこれか」選び取ってきた結果が今の私自身の姿で,人格とか自我とか価値観と呼ばれるものなのでしょう。

30代を迎え,あいかわらず仕事も私生活もうまくいっていませんが,20代のときのように,過去の選択に対して「後悔」をしなくなりました。
一種のあきらめというか,なんだか角が取れて丸くなった感じです。

森林浴でリラックス.jpg
(画像はイメージです。)

ストレス耐性が極端に弱い私は,どんなパラレルワールドを選んだとしても(それが存在したとして),結局行き着く先は同じかもしれません。
「精神疾患を抱えなけレバ…」さすがに,これはないな,と。